ハイパーフォーカス
午前4時、鐘の音で起床。身支度を整え、2階のホールに上がる。
これから3日間は、集中力を強化するサマタ瞑想を行う。
この瞑想法は何種類もあり、その中でも基本とされているアーナーパーナ瞑想は、目を閉じて、鼻の孔から入ってくる息、出ていく息に意識を集中させる。意識を置く範囲が狭ければ、それだけ集中力が高まり、生理現象である呼吸という行為に好き嫌いはなく、精神集中の対象になりやすい。
呼吸に意識を向けると、過去の記憶や将来の計画、雑念が次々と頭を巡ってしまい、集中することができない。意識が散ってしまうのは、心にしみついた癖だという。心がどこかに彷徨っても、焦らず、ゆっくりと意識を呼吸に戻す。
呼吸を観察して気づいたことは、心が穏やかで落ち着いていれば、呼吸は静かで規則正しい。逆に怒りや不安が湧き起こると速くなる。僅かな変化でも呼吸にあらわれてしまうのだ。
3日目からは環境に慣れてきたこともあり、集中して呼吸を観察できるようになった。
雑念が浮かんでもそれを追いかけず、ただ一点の対象物(鼻孔)に焦点を絞ることで、「いま」という瞬間に気づく。人は過去や未来ではなく、今現在でしか生きられない。ところが心は過去の体験や未来への願望を彷徨い、今という瞬間が大切なことを忘れてしまう。
「いま」この瞬間に気づく力をつけることが、この瞑想の真髄だ。
瞑想センターは人里離れた場所にあり、建物が風を通り抜ける設計なのか、真夏でも涼しく快適だった。
食事は朝と昼に菜食料理が出る。味付けが工夫されていて美味しい。夕食は果物のみ。
この施設で唯一の娯楽は、よく手入れされた庭に尽きる。小さな小学校の運動場くらいの広さがあり、木製のベンチがいくつか置いてある。休憩時間には、そこで昼寝をしたり、空や虫を眺めたりして過ごした。
早朝の瞑想を終えて、庭を散歩し、ふと空を見上げた。いつもより空の色が鮮やかで、それはまるで青いフィルターを通して見ているようだ。
視線を下ろして草むらに目を向けると、1匹のバッタがいた。バッタをじっと見つめると、顔の造形までくっきりと鮮明に見える。それはまるでマクロレンズで覗いたように、あまりにも生々しく、こちらに迫ってくるようだ。
僕の視力が良くなったのではなく、一点に集中する能力が短期間で身についていたのだ。